韓国近現代史ノート
【1】 韓国併合
(1) 日本による領有化
○1904、日韓議定書締結。日露戦争開戦13日後に締結。
韓国保全のため、日本側に必要な便宜を提供。
↓
1905、第一次日韓協約
○日露戦争終結、ポーツマス条約締結
↓
第二次日韓協約(乙巳保護条約)締結。統監府を設置
(初代統監は伊藤博文)し外交権を接収。
○1907、ハーグ密使事件
↓
第三次日韓協約締結。内政権を掌握、韓国軍解散。
↓
義兵運動。1909頃までに鎮圧。
○1909、伊藤博文暗殺事件。
→ハルピンにて伊藤が韓国独立運動家安重根に暗殺される。
↓
1910、韓国併合。朝鮮総督府設置。
(2) 日本統治下の政策
○憲兵警察の設置
→軍事上重要な地域や辺境などに限り陸軍の憲兵が
一般警察の任務を兼任。「武断統治」の代表例といわれる。
○土地調査事業
→旧李朝化の田制(科田法)を前面改正
(※朝鮮では荘園が未発達。 )。
両班による土地収奪や農民間の係争をなくす目的で
1910より総督府に臨時土地調査局を設置して調査を開始。
1918に完成。
【2】 文化政治
(1) 三一独立運動
○1919に勃発。
→200万人が参加したと言われている。
死亡人員553人、負傷人員(3月中)1409人、逮捕者数28443人、
検事処分数19525人、起訴者数9441人(1919年中)
※大半の単純参加者は逮捕されていない。
○第三代総督に斎藤実が就任。一定の改革を行う。
→文民総督を可能に。(朝鮮軍司令官と分離)
→憲兵警察を廃止、普通警察に一本化
→諮問機関として朝鮮人参加の道評議会・府面協議会の設置
→「文化政治」の実施(→それ以前の統治は
「武断統治」として対比)。
具体的にはー朝鮮語新聞発行許可、朝鮮会社令の撤廃、
帝国大学の設置など
〔3〕第一共和国
(1)韓国成立
○日本の敗戦により45.08に解放。
南部は連合軍による軍政。進駐軍司令官はジョン・ホッジ
呂運亭らは9月に朝鮮人民共和国の成立を宣言。
→連合国により非合法化。
45.12に米英ソ外相会談。連合国による最長5年間の
信託統治を発表。
↓
共産党はこれに賛成。一方保守派は反対。容認した
韓国民主党首席総務宋鎮禹は右派により暗殺される。
○46.10に一○・一 事件。大邱で左右のデモが衝突。
12月に連合国軍政庁は過渡立法議院を設置。
47.07頃に呂運亭(中道左派・勤労人民党党首)、
張徳秀(韓民党政治部長)など要人の暗殺が相次ぐ。
極右韓国独立党党首金九の仕業とされる。
○米ソ合同委員会は数度開催されるが南北合意に至らず。
↓
48.05に国連主導のもとで南朝鮮単独で国会議員総選挙を実施。
中間派(統一派)はボイコット。
※4月に済州道事件。総選挙反対派の左派が暴動、パルチザンとなり
長期間抗戦。
済州道から日本へ大量の密航者が発生。現在の在日韓国人の中心。
(2)朝鮮戦争
○7月に国会が大韓独立促成国民会総裁の李承晩を大統領に選出。
8月に連合軍政が終結、大韓民国成立。
50.03に農地改革法公布。地主解体。
5月に第二回国会議員総選挙。中間派も参加、中間派が大勝。
李承晩は自由党を創設。
○50.01に米国務長官アチソンがアチソンライン発表。
韓国・台湾防衛放棄を示唆。
↓
50.06に北朝鮮が韓国に侵攻、朝鮮戦争勃発。8月には
釜山を除くほぼ全土に進軍。
↓
9月に国連軍が仁川に上陸。新義州の手前まで進軍。
※ソ連も国連軍側。
↓
11月に共産党下の中国が義勇軍を派遣。38度付近で戦線が膠着。
51.06より停戦交渉開始。
○※反日派の韓民党が多数を占める国会が遡及法の
反民族行為者処罰特別法を可決。
↓
警察は無視。反民族特別委員会は独自に逮捕活動に乗り出す。
↓
委員会は強制解散へ。
○52.05、臨時首都の釜山に戒厳令。
(3)李承晩政権
○7月に自由党は国会で憲法改正を強行、
大統領直接選挙制へ移行。8月に李承晩再選。
サンフランシスコ講和条約後に李承晩ラインを設定、日本漁船を拿捕
53.07に朝鮮戦争停戦。
54.05に総選挙。自由党大勝。
11月に大統領の三選禁止撤廃を柱とする改憲案を提出。
賛成票が定数の3分の2に一票不足したが
自由党は改憲を強行(四捨五入改憲)。
○56.05に大統領選挙。民主党大統領候補の申翼熙が
選挙期間中に選挙期間中に急死。
大統領に李承晩、副大統領に民主党の張勉が就任。
9月に張勉狙撃事件。真相不明。
〔2〕朴正煕政権
(1)第二共和国
○60.03に大統領選挙。民主党候補の趙炳玉は病気治療のため
渡米したが死去。
李承晩が不正選挙により大統領に当選。
○4月に大規模デモが発生、戒厳令宣布(四・一九学生革命)。
↓
国軍が中立を表明。
李承晩は下野
許政外務長官が大統領権限代行に就任。 副大統領李起鵬が
拳銃自殺。李承晩は5月にハワイに亡命。
○6月に憲法改正、第二共和国誕生。
7月に国会議員総選挙、民主党が圧勝、自由党は事実上消滅。
8月に国会は民主党旧派の尹潽善を大統領に選出。尹潽善は旧派の
金度演を国務総理に指名。民主党新派はこれに反発し否決。
張勉が首相に就任。
以後デモによる混乱が続く。10月に国会乱入デモが発生。
また学生団体などが板問店での南北学生会談開催を提唱。
(2)第三共和国
○61.05に陸軍少将・参謀本部作戦参謀部長の朴正熙が
軍事クーデターを決行し成功。
国家再建最高会議が発足。議長は陸軍参謀総長の張都暎、
副議長に朴正熙が就任。
7月、満洲の企画院を参考にした経済企画院を設置。
朴正熙が最高会議議長に就任、張都暎を反革命容疑で逮捕
→一年後に釈放、渡米。
○63年に民主共和党発足、民政移管。直接選挙で朴正熙が
大統領に当選。
○65年に日韓基本条約締結。反対デモに対し戒厳令宣布。
69.09に大統領三選を認める改憲案が国会で可決。
野党議員を国会に呼ばなかったためひったくり改憲と呼ばれる。
○71.04の大統領選挙で朴正熙が三選。
(3)第四共和国
○72.07に南北共同声明を発表。
10月に戒厳令宣布。維新憲法案が公告される。
←南北対話を進めるために強力な国家体制が必要と説明。
↓
改憲案を発表。
大統領は任期6年、統一主体国民会議による選出。
再選禁止規定を撤廃。
戒厳令と同等の権限を持つ大統領緊急措置を規定。
↓
11月の国民投票で可決。
12月に統一主体国民会議開催。朴正煕を大統領に選出。
第四共和国成立。
○73.8に金大中拉致事件。
中央情報部(KCIA)李厚洛部長の指示で金大中が東京から拉致。
溺死させようとするが自衛隊による哨戒で断念。
5日後にソウルの自宅前で開放される。
朴正煕の関与は不明。
朴政権と田中内閣との間で政治決着。
○74年に文世光事件。在日朝鮮人の文世光が朴正煕を狙撃し、
夫人が死亡。
○同年コリアゲート事件。在米ロビースト朴東宣が米議員や
政府高官らの買収を図る。
〔3〕第五・第六共和国
(1)第五共和国
○79.10に10.26事件。金戴圭中央情報部長が朴正煕と
車智澈大統領警護室長を暗殺。
鄭昇和陸軍総長は国軍保安司令部に金戴圭逮捕を指示。
保安司令官全斗煥少将が金戴圭を逮捕。中央情報部を掌握。
鄭昇和が戒厳司令官、全斗煥が合同捜査本部長に就任。
○12月、統一主体国民会議開催、萑奎夏が大統領に就任。
粛軍クーデター勃発。全斗煥が萑奎夏の裁可を得ずに鄭昇和を逮捕。
○一方、10.26事件以降全国でデモが頻発。
80.4に舎北リンチ事件。江原道舎北の東原炭鉱の労働争議で
誤用労組の幹部が集団リンチにあう。
○5月18日に萑奎夏は戒厳令を全土に拡大。同年金大中を逮捕。
↓
光州事件が勃発。金大中の支持基盤地域である光州のデモが
数十万人に拡大。
国家保衛非常対策委員会が発足。
議長に萑奎夏、常任委員長に全斗煥が就任。
○8月に萑奎夏が大統領を辞任。統一主体国民会議は全斗煥を
大統領に選出。
新憲法案を発表。国民投票を得て成立。
↓
81.2に新憲法下で大統領間接選挙を実施し全斗煥を選出、
第五共和国が成立。
○83.9に大韓航空機撃墜事件。大韓航空機が操縦ミスにより
ソ連を領空侵犯し、ソ連の戦闘機に撃墜される。
○83.10にラングーン事件。ミャンマーにて北朝鮮の爆弾テロにより
韓国の副首相・外交部長官など閣僚4名を含む17名、ミャンマーの
閣僚・政府高官ら4名が死亡。全斗煥は乗っていた車の到着が
数分遅れたため難を逃れる。
(2)第六共和国
○87.6に盧泰愚大統領候補は6.29民主化宣言を発表。
大統領直接選挙制に移行。
10月に憲法改正、12月に大統領直接選挙を実施し盧泰愚が当選。
大統領任期は5年間とし一期のみとなる。
○87.11に大韓航空機爆破事件。大韓航空機がミャンマー上空で爆発。
ソウルオリンピックに反対する北朝鮮による国家テロとされている。
○88年にソウルオリンピック開催。
○90.9に韓ソ国交樹立。
91.9に国連加盟。
92.8に中国と国交樹立。台湾と断交。
○92.5に与党民自党党大会。民自党に合流した金泳三が
大統領候補に選出される。
93.2に金泳三は大統領に就任。
○93.8より金融実名制を実施。
↓
95.10に盧泰愚の秘密資金が発覚。
盧泰愚・全斗煥を政治資金規正法違反で逮捕。
○96年にOECD加盟。
○97.11に国際流動性危機に巻き込まれ、
国際通貨基金(IMF)の管理下に置かれる。
○97.12に大統領選挙。野党新政治国民会議の金大中が当選、98年に就任。
○00年に南北首脳会談実施。
.
~~~~
日本ブログ村 児童・童話小説サブカテゴリーへのリンクです。
ランキングをしているそうですので、もしよろしければどうぞ。
↓
![]()
.

